オハナサークル第8回:Yukiya Tamano

オハナサークル第8回:Yukiya Tamano

オハナサークル第8回:Yukiya Tamano

今から8年前、そろそろ年末のホリディシーズンにかかる季節でした。幸(ゆき)さんは白血病という診断を受けました。白血病は、昔から不治の病と言われていた病気です。血液の癌と呼ばれる白血病は罹ったら完治は難しい、その位は知っていましたが、それまで医者に行った事すらない健康サーファーだった幸さんにとって、自分がそんな病気にかかるなど、まさに寝耳に水でした。

寿司シェフとして20代でニューヨークに来てから、奥さんと二人三脚で猛烈に働きました。知り合いから受け継いだ日本食レストラン経営も軌道に乗り、その年の夏には、一軒目に場所が近いロングアイランドで、二軒目開店も果たしました。開店も無事すんで、間もない頃の事でした。疲れてるな、働きすぎかなあとは思っていました。貧血がひどく車の中で運転しながら眠り込むような疲労倦怠感にも襲われていました。でもまさか、そんな大病だなんて。その日も、その体でよく運転してきたねと医者に呆れられました。

「こっちって、隠さないじゃないですか、癌とかでも。」

その日すぐ入院で骨髄液検査、結果は「間違いなく白血病です」医者は淡々と告げました。

「あ、俺、死んじゃうんだ」目の前が真っ暗になりました。

がん告知を受ければ、気力が挫け、一瞬でも生きる気持ちが失せてしまう人が多いと思います。でも、幸さんはそこで、こんな風に思いました。

「間違いなく白血病ですって言ってる医者が、いい薬がたくさん出ています、生存率も上がっていますとも言ってる。この先生は嘘を言わない。信じてやってみよう」

「僕がちょうど50歳っていう年齢で、まだ気力と体力があったっていうのも、タイミング的によかったかもしれません」

とは言え、幸さんには、健康保険がありませんでした。自営業で月々の健康保険を支払うのは大きな負担です。健康体だったばかりに、保険に入っていない、アメリカの保険事情、お聞きになった方も多いでしょう。国民皆保険の日本と違って、保険がないまま重病にかかった人たちの悲劇は、ハワイでも多く報道されています。放射線治療、化学療法、抗がん剤等まず50万円かかる、それに、一体どうやってその新薬代っていうのを払っていけばいいんでしょうか。保険がなければ、錠剤は一粒3000円相当、それを4粒のまなくてはいけないなら、毎日一万円以上かかります。

でも、直そう、直したいという気持ちが、多くの人達から、協力の手を指し伸ばせることになります。高校時代からのスィートハートの奥様のり子さん、決してくじけない明るい性格のパートナーは、闘病生活でも強い支えになってくれました。二軒のレストランも信頼できる若手が、奥さんと一緒になって支えてくれました。二人の子供たち、そして病院の医者やケースウォーカー、アメリカ癌協会(Cancer Society)という支援団体。保険がなくてもいろいろな方が奔走してくれて、メディケイドという社会制度を利用することもできました。

「あれがなかったら、もう僕はとうに死んでます。」

幸さんはこともなげに言うと、アラモアナの沖でサーファー焼けした顔をニッと福顔にして、「アメリカってそういうところがすごい」と感心して見せます。

発病が分かった次の年2009年、お店の常連さんたち、友人、家族、サーフィンの仲間たちが医療費を補助する募金集めのイベントまで開催してくれたのです。娘の通っていた補習校では子供たちが千羽鶴まで折ってくれました。「え、誰もこないよ、そんなの」と思っていたのに、幸さんの病気回復を100人近くの人たちが集まってサポートしてくれました。その思い出は今でも本当に大切な心の宝です。

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愛らしい人懐っこい笑顔の幸さんの周りには、たくさんの友人達がいつもいた。
ニューヨーク、エキサイティングな場所です。長年の友人もひいきにしてくれているお客さんもいっぱいいます。「本当に多くの人に支えてもらいました。」

でも…

大病をした後、幸さんの中で何かが変わりました。まだ再発の恐れがゼロではないのです。

暖かい所に住みたい、一年中愛してやまないサーフィンができる所にいたい、日本に近い場所がいい、そんな気持ちが出てきたのです。なんとなく昔から思っていたことではありました。命にかかわる体験をした幸さんにとって、「いつかしたい事」を、「今する事」にしてしまう、これが大切だと思えるようになったのです。

手先の器用な幸さん、料理が好きでその道のプロになりました。でも、それ以外でも、大工仕事など形あるものを作るのも好き。大好きなサーフィンをしながら、サーフボードを作る生活がしたい、それがハワイのような所でできたらどんなにいいだろう。でも、本当にできるだろうか。いや、何とかなる、何とかなってきた、何とかする、そう思った幸さん。

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真剣な眼差しで、ボードの表面を確認する幸さん。
そしてついに、今年2016年の1月にハワイ移住を果たしました。これまた、昔からの仲間、先輩、友人たちが、よってたかってサポートの手を差し伸べてくれました。お医者さんもすぐ紹介状を書き、息子さんもハワイで同居してくれています。奥様も仕事の合間にニューヨークから飛んできます。ハワイですでにサーフショップをしている高校時代の友人も力を貸してくれました。

「僕、結構内気で。そんなに社交的でもないし、寿司握りながらお客さんとあまり話すほうでもないし」幸さんが、ちょっと照れたように笑って言います。

ハワイ移住の夢を叶えてからは、何時間もかけて板を貼り合わせ、ヤスリをかけて、最高のサーフボードにしていく、その作業に、ハワイ大学の近いホノルルの街の一角で、一日の大半を過ごします。

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この板一枚一枚を合わせ、ボードにしてゆく。どれくらいの角度でカーブを作っていくか、それはまさに職人技。

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美しい曲線で輝くボード。これでもまだ完成には程遠いという。それは聞いていると気が遠くなるくらい細かい作業の連続だ。
白血病という病気が、一つの転機となって、本当にしたいことを実現した幸さん。海と波と一つになるサーファーたちに、手塩にかけたいいボードを使ってもらいたい。その姿は、たぶん長い間お寿司を一つ一つ大切に握り、日本料理を一皿ずつ料理して味わってもらいたいと思ってきた職人姿と、きっと同じなのかなあと思いながら、笑顔の幸さんのお宅を後にしました。




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