オハナサークル第9回(前半):Hanae Miura

オハナサークル第9回(前半):Hanae Miura

オハナサークル第9回(前半):Hanae Miura

~古流なぎなた直心影流(じきしんかげりゅう)師範〜

何十年に一回、いや、あえて言えば、人生で数回「本当に素晴らしい方にお会いできた」と思う瞬間があります。日本の伝統武術をハワイで、50年も伝え続ける薙刀(なぎなた)師範、三浦花枝先生にお会いした瞬間、直ぐにそう思いました。こんな素敵な女性に会えたなんて、なんと幸運なことであろうと、そんな実感と手ごたえがあった出会いだったのです。

昭和7年(1932年)のお生まれですから、当年取って85歳。キラキラとした目の輝き、どう見ても40代に見える肌のつや、理知的な額、そんじょそこらの女優さんなど顔負けの美貌。さらに、人格のおおらかさ、武術家としての背筋の通った姿勢、微笑みから伝わる凛とした気品。「やんごとなき」という枕詞がぴったりの、掛け値なしの素敵な女性です。同時に何ともチャーミングで気さくな、ユーモアセンスいっぱいの方なので、お話も弾みました。

先生のお宅にお邪魔するや否や、勝手に口から出てしまったぶしつけな質問。

「先生、どうやったらそのお肌の張りを保持するんですか」

「あら、あなた、朝起きたら顔にアイロンかけるんですよ!」

85歳にしてこのお肌のツヤ!あっぱれです
メイプルの読者の中には「ハワイでナギナタ?」と思われる方も多いことでしょう。異国で「女一人、身寄りもなく、薙刀に守られて」とはご本人の言葉ですが、その薙刀を、半世紀近く、ほとんど誰からの支援もなく、教え続けた女性がいるなんて、想像がつかないかもしれません。生徒さんから一セントの月謝もいただかず、それこそ持ち出しの50年間、並大抵の人間ができることではありません。

「なんでも致しましたよ。宝石屋さんやレストランでも働きました。ベビーシッターをしたり、日本語を教えたり、学校のお掃除をしたこともあります。」苦労のあったことなど、ホホホと笑い飛ばしてしまえる明るさ、底なしのポジティブさ。

「バーなどで働いたことだけはなかったかしらね。生徒さんに会ったりしたら嫌でしょ」

またまたぶしつけとは思いましたが、こんな女性を男性たちはほおっておかなかったのではと、ついお聞きしてしまった所、「そうですね、お夕食のお誘いには、あまり不自由はしませんでしたね、ホホホ」が、答でした。

薙刀は、剣道や柔道、空手などと比べると、諸外国で知名度はそれほど高くない日本の伝統武術です。かつて中世日本の戦場で大活躍した薙刀は、鉄砲の伝来と共に、戦場での武具としては次第に衰退してしまいます。その後、僧侶そして御殿を守る女御たちの武具として残った武術の薙刀術。槍や矛とも違う独特の矛先を持つ薙刀は、短刀術や鎖鎌(くさりがま)術と共に学ばれるという事です。優雅で儀式性のある薙刀は、今でも紋付、袴の正装で戦われる精神性の高い武術なのです。

三浦先生がハワイに来る事になったきっかけは、1964年の東京オリンピックまでさかのぼります。その年、柔道でオランダ人のへーシング氏が、日本の柔道家たちを差し置き金メダルを獲得という、日本にとっては屈辱的な大事件がありました。しかし日本の柔道が、それを機に世界の柔道として、脚光を浴びることになった第一歩でもありました。

その時日本にやってきたヨーロッパ勢は、剣道や薙刀道なども見て、「日本には柔道以外にも奥の深い武術がこんなにあったのか」と驚きました。そして、オリンピックのすぐ後、伝統武芸の日本人武術家たちをオランダに招聘したのです。1969年、招聘団として、オランダまで薙刀を見せに渡航したのが、たった一人の女性代表として選ばれた三浦花枝先生でした。

オランダKLMにのってヨーロッパに日本の武術を披露に出立
アムステルダム空港に着くとすぐ、デモンストレーションができるように、稽古着に着替えた一行
国技を世界に広める大役を果たした三浦先生は、まだ30代。海外で伝統武術を堂々と披露した、小柄でチャーミングな日本女性のニュースは、国内外に広まります。テレビや新聞の取材も受けて、一躍時の人になったのです。

それから少しして、「トントントン」と先生の自宅の戸を叩いたのは、フジカワさんという「真っ黒いおじさん」でした。ミスターフジカワは、ハワイの日系人フェスティバル桜まつりの担当者で、ハワイの商工会議所からやってきたという事でした。

「ハワイに来て、是非薙刀を紹介してください。お願いします。」

飛行機代も出ないという無理な依頼でした。当時は英語も話さない花枝先生でしたが、ハワイで薙刀を日系人の方たちにも見てもらいたいと、この依頼を受ける決心をします。

ハワイで熱意と迫力のある先生の薙刀のステージが終わると、5人の日本女性が近寄ってきました。戦争花嫁としてハワイに移住をしていた人達でした。この5人の女性達が、その後三浦花枝師範の最初の5人の薙刀のお弟子さんとなった人達でした。

薙刀を教えてと集まった最初のハワイ地区メンバー。一番右がはなえさん。
(続く)




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